奈良の靴下工場日記

くつ下の産地である 奈良県の広陵町で 1927年に創業した株式会社創喜です。靴下工場のアレコレ

靴下の歴史<日本編>

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こんにちは! 創喜です。

 

10月もとうに始まっているというのに、台風がじわじわやってくるそうです。

雨風はどのくらい強くなるのでしょうか…皆さまどうぞお気をつけて。

 

さて、前回に続き今回のテーマは「靴下の歴史<日本編>」です。

 

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日本で一番古い靴下は「襪(しとうず)」と呼ばれる、

親指が分かれていない足袋(たび)のような履物といわれていて、

古墳時代に大陸からやってきました。

もちろん伸縮性などない布で作られていて

きんちゃく袋のように足首でしばる紐が付いています。

今でも束帯や十二単を着るような重要な儀式では

使われる場合もあるのだそうですよ。

 

襪よりも一般の人々に使われるようになったのが「足袋」。

足袋の語源は「単皮」だと言われています。

文字のとおり、単衣に皮の底をつけた靴のような履物を指します。

足袋は平安時代に生まれ、

草履が一般庶民に普及するのと共に広まっていきました。

 

「単皮」が「足袋」と書かれるようになったのは室町時代のこと。

素材が皮革から木綿に変わっていったのは江戸時代なのだそう。

木綿の足袋はその後長く使われ続け、

生産高のピークは昭和30年と言われています。

意外にそれほど昔のことではないのでビックリしますね。

 

さて、私たちがイメージする「メリヤスの靴下」は

どのような変遷を経て普及してきたのでしょうか。

 

日本で発見された最古のメリヤスの靴下はなんと

あの水戸黄門こと「徳川光圀」(1628〜1701年)の持ち物だったんです!

光圀は好奇心旺盛な性格だったそうで、

日本人で一番最初に靴下を履いたのも彼だった、とも言われています。

印籠を構えたあの黄門さまが、新しいモノ好きだったなんてなんだか面白いですね。

 

メリヤスや靴下自体がいつ頃日本に伝えられたのか詳細は分かっていませんが

1567〜1637年の南蛮貿易時代には、

手編みの靴下とメリヤス編みが伝来していただろうと言われています。

 

工業として靴下製造を始まったのは明治4年1871年)のこと。

靴を製造をしていた西村勝三が、アメリカから丸編機を輸入し

東京の築地で軍足の製造を開始しました。

翌年には上田長次郎が大阪の中之島にて、靴下編機を使ったメリヤス業を始めました。

 

明治以降、愛知県、兵庫県加古川市奈良県広陵町などで靴下の生産が盛んになり

中でも広陵町は日本一の産地へと成長していきました。

 

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さて、日本の靴下の歴史はいかがでしたでしょうか。

世界に門戸を開いた後の日本の急速な発展は、

当時の人たちからすれば、目をみはるものだったのでしょうね。

伸びない生地しか知らなかった人たちは

メリヤスの伸縮性にきっとびっくりしたのだろうなと思います。

 

大切に育てられてきた靴下づくりの技術を

これからも守り続けていきたい…と思いを新たにしました!

 

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参考資料:『靴下ソムリエ資格認定試験公式テキスト』(日本靴下協会・奈良県靴下工業組合)

写真:『風流六玉川 紀伊 高野の玉川』 (部分)1806年 日本(メトロポリタンミュージアム所蔵)